あの一口から始まったこと

私が木のスプーンを作るようになったのは、たった一口の体験がきっかけでした。


元々私は、家具職人として弟子入りし、日々腕を磨いていました。
いつかは家具の道で独立したい。そう思いながら、目の前の仕事に向き合っていたのです。

そんな中、独立を決意し、準備を進めていたときに、ある運命的な出会いがありました。

それが、”1本の木のスプーン”です。


しかもそこのスプーンは、

「食事が変わるスプーン」

として手渡されたものでした。

もちろん言葉にしませんでしたが内心、


『スプーンで食事が変わるわけがないでしょ』


と失礼ながら、冷笑していたわけです。
これを読まれている方も、そう思っている方が大半でしょう。

実際私は、ワークショップで作った木のスプーンを5年近く使っていたので、木のスプーン自体が初めてだったわけではありません。
たしかに金属よりやさしい感じはある。でも、そこまで言うほどなのか。
そう疑いたくなるのも、無理はないと思います。

ところが、そんな私がそのスプーンで一口食べた瞬間、衝撃が走ります。


『なんじゃこりゃ!』


口に入れたときの木のやわらかさ。
そして、するっとなめらかに抜けていく感覚。
その心地よさに、自然と上がる口角。


スプーンでは味わったことのない感覚が押し寄せてきたのです。
そして気づけば、食べることそっちのけで、スプーンだけをむしゃぶりつくす私がそこにはいました。

このたった一口で、私の中の常識は塗り替えられたのです。


「スプーン1本で、食事は変わるんだ!」


美味しい食事は人生において最高の娯楽だと私は思っています。
そしてその美味しさや心地よさが、スプーンひとつで変わることを知りました。


自分の作品を、お金を出してまで買ってくださる方には、その作品を通して、少しでも幸せな時間を届けたい。
職人として、そう思っています。


このスプーンならそれが実現できる。
そう思ったことが、家具の道から木の食卓道具の道へ進んだきっかけでした。

駄作しかできない

思い立ったが吉日。
さっそく見よう見まねでスプーンを作ってみました。


そして、できあがったスプーンで実際に食べてみた感想は――

『えっ?なにこれ?』

でした。


まったく心地よくないのです。
ただ薄いだけのスプーンが、ひとつ出来上がっただけでした。

そこからは、作っては口に入れ、また作っては口に入れての繰り返しです。
私の唇が切れるのが先か、完成が先か。

そうやって試行錯誤を重ねて、ようやく最初の一本が形になりました。


木のスプーンは、見た目以上にごまかしのきかない道具です。
ほんの少しの厚み、角度、形の違いが、そのまま口当たりの差として表れます。

だからこそ、簡単にはたどり着けません。
でも逆に言えば、そこにこそ作る価値があるとも思っています。

奥の深いスプーンの世界

スプーン作りは、本当に奥が深いです。


薄いスプーンが良いと言われることは多いですが、ただ薄ければいいわけではありません。
薄すぎてもだめですし、角度や仕上げ方、さらには樹種によっても口当たりは変わってきます。


デザインについても同じです。
スプーンはある程度の形が決まっている道具だからこそ、その中でどう個性を出すかが問われます。
しかも、それがちゃんと使いやすくなければ意味がありません。

考え始めると、本当にきりがない世界です。


その一方で、木のスプーンは小学生の工作でも作られますし、100円ショップにもたくさん並んでいます。
そのため、手軽なものと思われやすく、秘められたポテンシャルに気づかれにくい道具でもあります。


でも私は、木のスプーンにはまだまだ大きな可能性があると思っています。
毎日の食事に自然に入り込みながら、使う人の心地よさを確かに変えられる道具なのです。

石賀木工が目指すもの

ここまでお話ししてきたように、木のスプーンの魅力は、見た目のぬくもりだけではありません。


口に当たる感触のやわらかさ。
手に持ったときのやさしさ。
金属とはまた違う、静かな心地よさ。


ただ、それは見ただけではなかなか伝わりませんし、華やかで目を引くものではないかもしれません。
けれど、毎日の食事の中で使ううちに、じわじわと良さが伝わっていくものだと思ってます。


石賀木工が目指しているのは、ただ見た目が良いだけのものではありません。
見た目と使いやすさ、その両方がうまく調和した道具です。

かわいくても、使いにくければ、やがて食卓から離れてしまう。
逆に、実用性だけを優先しても、手に取りたくなる魅力がなければ使われなくなってしまうかもしれません。

だから私は、手なじみや口当たりといった使い心地を大切にしながら、食卓になじむ形を整えたいと思っています。


道具は、使われて初めて生きる。”

これは石賀木工の根っこにある考えです。

せっかく作るなら、しまい込まれるものではなく、毎日の食卓で自然と手が伸びるものであってほしい。
使うたびに気分がよくなり、食事の時間が少し心地よくなるものであってほしい。

そんな思いで、一本ずつ木のスプーンを作っています。